第23回粘菌生活

・・・・・第23回粘菌生活    心配しない・・・・・・・・・・・

今日も目が覚めた。
神経痛がぶり返している。
痛いけど動ける。
ありがたい。

立春をすぎ、梅の甘い香りが漂う。

一姫や梅にゆかりの名は如何に

私が生まれたのは2月。
父の友人が贈ってくれた。

61回目の春。
お借りした身体をずいぶん傷つけてしまった。
それでもありがたいことに、なんとかここまで生き延びた。

父を送った。
でも、まだまだ。
私は母を見送ってから逝く。

これまでに
祖父を送った。
祖母を送った。
義弟を送った。
義父を送った。
義母の母を送った。
義母の兄を送った。
義母の妹を送った。
叔母を送った。
親戚を加えるともっと。

あたりまえだけれど、弔いは生きている者しかできない。
生きているものだけができる。
生きているもの皆で送る。

「この家とアパートあげるから、面倒みてくれない?」
かつて、1人暮らしの親族にそう言われた。
つれあいをなくし、身体が弱ってきていた。

不自由になってきた1人暮らしが不安になってきたのだろう。
しかし私1人で担えることではない。
私だけでなく、他の誰でも1人では担えない。

「生きているうちに家を売ってもっと楽に暮らせるようにしたら?そのためだったら、手伝うよ」
彼女は激怒した。
「家を売れと言われた」といって、他の親族に泣きついた。
そこでも、やんわりと断られた。

1人暮らしの自宅で彼女が倒れ、病院に運ばれた。
最初の話から、10年がたっていた。
病院に皆が駆け付け、10日ほどたって亡くなった。
火葬場へ向う途中、あるじを失った家の前を通ってもらうように頼んだ。

「あの時、亡くなったあとのことは心配しなくても大丈夫だよ。みんなでちゃんと送るからって言えば良かった」
「いや、あそこであなたに家を売れなんて言われたから、最後まで本人が頑張って自分の思い通りにできたんだよ」
「そうよ」
皆が口を揃えた。

彼女が他の親族に泣きついたおかげで、実情がオープンになった。
遠くに住む親族で、横の連絡をとりながらサポートしあった。
役所にかけあい、民生委員さんを通して、各種支援サービスの手続をするようにはたらきかけてもらった。
ヘルパーさんや各種支援もいただけるようになった。
十全ではなかっただろう。
でも、最後まで本人の好きなようにはできた。

さて、残った家とアパートをどうするか。
借り手のいないアパートのリフォームはどうか。
新しくしても、過疎の地。
人がいない。
では処分するか。
地方の古い家を処分した方ならおわかりだろうが、地方の古い家はまず売れない。
アパートならなおさら。
ならば、壊して更地にしたらどうか。
壊すにも数百万円のお金がかかる。
当時は、更地にすると固定資産税が6倍に跳ね上がった。
駐車場は?
その辺にいくらでも空き地があるし、そもそも借り手がいない。

家とアパートを更地にして処分したのち残ったのは、折々の供養代程度。
ちょっとだけ上等の精進落としで「ありがたく御馳走になります」と亡き彼女にお礼をいう一族。

心配しない。
困ったら、その時に考える。
オープンにして皆の力を借りる。
そうすれば、皆で知恵を出し合える。
十全でなくてもいい。
持てるもので、やりくりしていく。
あれこれ心配する時間がもったいない。
自分をご機嫌にさせる時間にしたほうがいいと思う。

一色

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おまたせしました。今週より”粘菌生活”再開です。
明日 2月8日は、旧暦の元旦。
新年とともに復活です。
どうぞお楽しみください。

スタッフより